健康な顎顔面口腔を育成するためには、離乳食からの食育と切っても切れない関係があります。
しかし現在皆様に出回っている食育についての情報が錯乱しているのが現状です。
ここでは先人たちの知恵と学問をしっかり考察したうえで、日本人に適した食育の情報をお伝えいたします。
図のように西洋人と日本人(東洋人)とは頭・顔面の形が大きく異なります。
西洋人は奥行が長く、横幅は狭いです。
一方、日本人は奥行が短く、横幅は広い顔の形をしています。
元々西洋人の頭は細長い形をしています。
そのため顎の動きも横の動きより、上下・前後の動きを得意にしています。
食事の内容としてはパン・塊の肉・生野菜などの咀嚼に向いています。
一方我々日本人の頭は幅広い形をしています。
そのため顎の動きは上下・前後の動きより、横の動きを得意にしています。
食事の内容としては米・麺・魚・発酵食品などの咀嚼に向いています。
硬いものを噛んだ方がいいとおっしゃる方の多くは昔の日本人の食事の話をされますので、まずそこから触れさせていただきます。
こちらが鎌倉時代の代表的な食事です。
お米は精米技術が無かったため玄米をおこわにして蒸して調理していました。お米を節約するためにアワやヒエなどをよく混ぜられていました。
おかずは一品で、味噌・塩・梅干などいずれかでとても質素でした。
一見、栄養が偏っているように見受けますが、玄米には多くのビタミン・ミネラルが含まれています。
玄米を1日5合程度食べていたのですが、非常に硬くかなりの咀嚼を求められたと思われます。
こちらは江戸時代の代表的な食事です。
精米技術が確立されたため白米を食べる習慣がつきました。
精米の際に大量に出る米ぬかをつかったぬか漬けが広まりました。
高価だった醤油が庶民にも普及して煮物に味付けがなされ好まれるようになりました。
菜種油の普及で油揚げも庶民に浸透し、味噌汁に豆腐とともに入るようになりました。また味噌汁の中におからを入れるのが流行りました。
魚は1日1回の贅沢なおかずでした。
また菜種油の照明の普及で就寝開始時刻が遅くなるのに伴い、1日3食の習慣が根付きました。
鎌倉時代は中期になると宋から貨幣が入り物流が広がりましたが、それ以前は物々交換を行っていました。
江戸時代では行商が一般的になったため、特に町民は歩く距離が鎌倉時代と比較して少なくなりました。
現代では交通機関やインターネットの普及でさらに歩く距離が少なくなりました。
歩行は強靭な体幹を育成することと強く関連します。
硬いものを噛むには強靭な体幹が求められます。
鎌倉時代の人々は歩行によって強い体幹を有していたため、硬いものをずっと食べていても問題が生じにくいです。
一方、歩行量が減少してきた江戸時代からは、体幹の強靭さが徐々に失われ、硬いものを多く食べてしまうと、顎関節や首を痛めてしまうようになりました。
WHO(世界保健機関)では以下の母乳育児について声明を出しています。
6カ月までの完全母乳育児によって乳児の胃腸感染症を防ぐことができる。
6~23カ月の部分母乳育児によって以下の効果が期待されます。
このようにWHOでは2歳になるまで母乳育児を推奨しています。
江戸時代に大ヒットした大衆健康書「養生訓」の著者である貝原益軒から儒学を学んだ医師の香月牛山によって書かれた育児書「小児必要養育草」では
と書かれております。
江戸時代は現代と違い乳幼児の死亡率がとても高かった時代です。過去の経験に学び、健康で病気になりにくい子育てをするためにこのような食育を行ってきました。
当院では先人たちの知恵を学び、それに最新の知見を加えた食事指導を行っております。
では実際にここで申し上げている硬い食事とはどんな定義でしょう?
こちらの図に示している”咬筋”という筋肉を疲労させる食事が硬い食事に当たります。
具体的には以下の食事が代表的なものです
一見硬そうに感じても、唾液ですぐにドロドロになる”せんべい”や”クッキー”などは該当しません。
こちらは家庭の食卓でよく見かける食事です。
内容は以下の通りです。
この中で赤で記した食べ物が咬筋を疲労させる硬い食事に該当します。
洋食はこの傾向が多く見られます。
こちらも家庭でよくある食事です。
内容は以下の通りです。
これら全ていわゆる和食ですが、この中には一つも咬筋を疲労させる硬い食事が含まれていません。
すなわち、なるべく日本人が長年食べ続けてきた和食中心の食生活をお勧めします。